寺田寅彦、松根東洋城生誕140年記念寺田寅彦in高知

    寺田寅彦、松根東洋城(豊次郎)の生誕140年を記念して、10月24〜26日に開催した「寺田寅彦in高知」は、高知県立文学館、寺田寅彦記念館、正曲一絃琴白鷺会ご協力のもと、変はり易い秋の空にも拘らず、3日間とも好天に恵まれ、お蔭様で、予定してゐた全ての行事は滞りなく成功裏に終了致しました。
    此の度の行事を通して、寺田寅彦記念館友の会、新宿区立漱石山房記念館、一般財団法人子規庵保存会、くまもと漱石倶楽部、鎌倉漱石の會の面々が、一堂に会する、絶好の機会となりました。今後とも、漱石の書斎(漱石山房)に多士済々が集つたやうに、漱石や子規、寅彦、東洋城の他、漱石山脈に連なる故人を顕彰する多くの団体、個人が相互に交流する機会を、事有る毎に設けて参り度いと存じます。
(鎌倉漱石の會・菅佐原智治)
 
10/24
    今回は、古典文学散歩として、「土佐日記」の跡も訪ねたり、童謡100年に因んで、作曲家・弘田龍太郎の歌碑をも見学して来ました。

土佐日記「奈半の泊」碑(右側)

弘田龍太郎の生まれた、安芸市に在る「叱られて」碑と「鯉のぼり」碑を見学する。

土佐国分寺

 紀貫之国司邸跡

10/25
    今日一日、寺田寅彦三昧です。

 寺田寅彦が学んだ、高知市立江ノ口小学校の顕彰碑。田村和枝教頭先生から、小学校に入学した児童が、お墓と間違へて手を合せるとのエピソードに、一同大笑ひ、5、6年生になると寅彦をまなぶと聞き、今度は一同感心しきりでした。  

 寅彦が幼少の頃、病気平癒祈願をした、小津神社

小津神社に寄進した灯籠 

寺田寅彦の墓所

明治35年に、20歳と云ふ若さで亡くなった、寅彦の最初の妻、夏子の墓がとなりに並んでゐる。

高知城の城西公園に在る、寅彦文学碑「花物語」

寺田寅彦記念館

寺田寅彦記念館の伊東喜代子さんの説明に、耳を傾ける一同。 

此の7月24日に除幕式をし、お披露目した寺田寅彦銅像。新しく開館した複合施設「オーテピア」の一階に、母校の中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)に向いて建つてゐる。

 

 

高知県立文学館の企画展「寅彦先生に学ぶ天災展」天災は忘れられたる頃来る、並びに常設展示をレクチャーして下さった、主任学芸員の川島禎子氏。

寺田寅彦記念館友の会会長・山本健吉氏(上)と、寅彦に関する講話の寺田寅彦記念館友の会の四宮義正氏(下)

高知城、寺田寅彦記念館も高知県立文学館も、このお城を見上げるところに在ります。

 

 
10/26
    寺田寅彦記念館で、夏目漱石の小説『道草』に、主人公健三の兄は「一絃琴を習ひ」と、僅か一行だけある、その一絃琴に拘泥はりました。高知県無形文化財保持者・正曲一絃琴白鷺会の演奏で、寺田寅彦作詞・作曲「三毛の墓」他6曲を、一同堪能しました。演奏の後には、希望者5人に一絃琴の手解きもサービスして下さいました。

演奏は、正曲一絃琴白鷺会・会長、森本和子さんと長山由里香さん。

10/24、おまけ

モネの大作「睡蓮」の制作から100年になることから、序に土佐日記「奈半の泊」からバスで10分程行つた、北川村にある「世界に2つのモネの庭」へも足をのばし、美味しいお昼と庭内散策を楽しみました。

睡蓮、まだ咲いてゐました。